祖父の年齢とカブ

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今朝はジクサーを洗車して、先週のツーリングの汚れを落とし、

オイル交換しようと思ったら、粘度違いを混ぜても(ダメですけどね)足りなくて注文。

午前中は暑さに耐えながらゴロゴロしていましたが、昼すぎたので隣の宿毛市へ行き、

またお好み焼きを食べて、数年ぶりに宿毛市の図書館へも行きました

一時期は住んでる四万十市と、両隣の黒潮町と宿毛市の3つの図書館を利用していましたが、

読書速度が追いつかなくて、最近は四万十市のみになっています。

しかし四万十市より小説が充実しているので、数冊借りて帰りました。

    

夫婦で1台しか車(N-BOX)がなくて、奥さんが仕事でいつも使っているので、今日もカブです。

1分間に約17ccのガソリンを燃やしてほぼ1kmを走っていたら、

うつなつ

うつなつ

そういえば亡くなったじいちゃん(父方)もカブだったな

と思い出しました。

私が小中学校の頃には、となりの黒潮町(当時は大方町)の山奥の自宅から、

よくカブ70で私の家に来てくれて、特に何するでもなくすぐに帰って行きました。

足が痛いのにセルがないカブに乗って、ドリフの探検隊コントみたいなヘルメットでした。

高専の寮に入ってからは、よく葉書をくれたので今でも何枚か持っています。

ふと家に来てた頃、祖父が何歳くらいだったのかが気になって、墓まで行ってみることにしました。

      

まずはその頃、私と両親と妹が住んでた市営住宅へ。

当時は平家の長屋でした

当時なかったバイパスは通らず、市内を通る昔の道で行ってみます。

祖父より私の方が(というかカブ110の方が)速いと思うので抑え気味で(笑)。

赤鉄橋は塗り直した以外はそのままのはず、四万十川の水位はずいぶん下がったらしいです。

R56を走り、黒潮町の中心地からは山の方に。

大井川という地区のバス停から、さらに奥に向かいます。

バス停から500mくらい、ここを上がったところが祖父が住んでた、父が育った家でした。

ここより奥にはもう人家はありません

祖父母も亡くなり、叔父も亡くなったので、借地に建てていた家は解体しています。

ここを右に上がっていくのだが、もうかなり繁ってる

ここまで市営住宅から19.7km、約40分でした。

向こうのコンクリは、確か風呂とトイレだった

けっこう庭が広くて、鶏とか放飼にしてた記憶がある。

家に戻ってから写真がないかと探したらありました。

この日竹馬を作ってもらって、乗れたので嬉しくてずっと乗ってる私。

スカートが短すぎる(笑)3年前に亡くなった妹。

向こうにカブ70が見えますね、祖父はなぜか同じのを2台持ってた(伯父用?)。

     

うつなつ

うつなつ

すごい物を発見してしまったぜ!

うつなつ

うつなつ

これは祖父が被ってたヘルメットでは!

たぶんそうです、まあ持っては帰りませんが。

     

家があった場所から、さらに奥に1kmほど走った場所に父方の墓地があります。

この貯水施設の奥

一番手前が祖父母のお墓で、その次が65歳で亡くなった叔父(三男)の墓。

向こうのお墓は、その叔父が器用さを生かしてコンクリで作った、

先祖や幼くして亡くなった長男・次男らのお墓です(文字もちゃんと刻んである)。

   

墓碑銘だと祖父は昭和63年1月に89歳で亡くなっているので、多分1899年(明治32年)の生まれ。

計算したら、私が14歳の時には祖父は77歳だったみたいです。

うつなつ

うつなつ

私も77歳でもカブが乗れるようにがんばります

墓碑銘読んだら、「終戦まで呉海軍工廠で働いてた」と書いてあったので驚きました。

リアル「この世界の片隅に」や

おまけに叔父の墓碑銘も読んだら、偶然今日が命日だったので拝んで帰りました。

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